増えゆく「不登校」について
緘黙と饒舌の違いはあっても、フリースクールの小・中・高生の子どもたちに共通することの一つは、その自我意識が鮮明なことである。
一つのキッカケとして、コロナ禍の中で通学する愉しさを感知することが少なくなったこと——、とりわけ小学生の不登校が増加したことの原因の一つになったかもしれない。
ある県の「フリースクール連絡協議会」のアンケートによれば、最も多かったのは「先生との相性」次が「友人関係」とのこと——。
だが先生の確保さえ覚つかない国の教育観の根幹に「教育軽視政策」の脆さが厳然として幾年も続いている。
私が中・高時代に学んだ根幹には「君たちがこの国の人命と平和を築く主人公」そのラジカルな教えは今も息づいています。
併せて「ヒロシマ」「ナガサキ」を始め多くの都市が灰燼に帰した中で、私はヴァイツゼッカ――元大統領(ドイツ)が言った「歴史に目を閉ざすな。過去に眼を閉ざすものは現在にも盲目となる」と言ったことを生涯忘れない。
併せて「モモ」(ミヒャエル・エンデ著)の中で「将来の幸せのために」と遊ぶ時間も奪われて強制的に勉強をさせられ、自分を見失っていき「灰色の男たち(時間を盗む男たちの俗称)」によって奇妙な病原菌に冒されていく子どもたちを、今の時代と重ねて感じる。
その子どもたちが子ども館に来て、別人のように変わっていくことを、スタッフやボランティアさんと共有できることを誇らしく想う。そして、子どもたちと対きあっていることを大切にしていきたいと念ずる日々です。
ひが のぼる